大森 敏昭 氏(滋賀県)
立烏帽子を被り現場で指揮をする棟梁。棟梁は設計士であり、現場監督であり、最高の技術者でもあり皆の憧れであった。全国の将来番匠師となる技術を持った大工棟梁を紹介していく。
神滋賀県長浜市。日本最大の湖、琵琶湖の北東部、湖北地方と呼ばれる位置にあり、かの羽柴秀吉が長浜城の城下町として整備していこう湖北地方の中心である。
昔は今浜と呼ばれていたが、1575 年、羽柴秀吉(豊臣秀吉)が織田信長の「長」をとり長浜と改称した。今回は、長浜で大工として地域の信頼を積み重ねてきた有限会社大森大工代表取締役 大森 敏昭氏にお話を伺った。
古民家への想い
古民家では大きな差鴨居(さしがもい)と呼ばれる建具の上部の横架材が目を引くが、座敷に差鴨居が見えるのは無粋。昔の職人は「作りだし」と呼ばれる加工で座敷側の鴨居を切り落とし、長押を回している。
構造的な強度の確保に繊細な美意識も追求するのが職人というものらしい。長浜の大工は京都で美意識を学び地元で花開かせたようである。作りだしの切り落とした面を見せてもらったが「ちょんな」で綺麗に仕上げられており、見えないところもしっかりと仕事をする心意気があった。
長浜は京の影響が強く町家が市内には多いが、少し郊外へ出ると農家住宅にも出会える。農家住宅は伊い香か造づくりと呼ばれる。その特徴は入母屋造りの水辺ではヨシ、山手ではカヤが使われる草屋根で、入母屋の破風には「前だれ」と呼ばれる棟かざりが特徴となる。
前広間三間の間取りで伊香造りは越前(福井県)と近江(滋賀県)を結ぶ古い街道、塩津街道を境に東が余よ呉ご型、西は大おお浦うら型と分類される。
大森氏の古民家再生の仕事は町家と農家の両方に対する理解と愛情が必要で、それぞれの文化的な歴史も考慮しながら最も良い再生の方法を常に考えているそうだ。大森氏の先人の知恵を後世に伝えるという情熱は衰えることなく、年とともに大きくなっているように感じた。
何気なく、作業場に彫り師が掘った腕木の下に取り付けられる「子こ腕うで」が置いてある。新築住宅に使用する新品だ。この子腕に施される装飾を「雲」というが、町家の意匠で雲を掘った子腕を扱った仕事をしている大工は少なく、長浜においては外観を見るだけで大森氏の手がけた住宅だとわかるそうで、ブランディングされた住まいづくりをしていることに驚いた。
古材への想い
古材には先人の職人の技術があり、周りを見渡してもこの貴重な古材を扱っている職人はおらず、後世に残していくために自分が立ち上がらないといけないと大森氏は思ったそうである。大森氏の作業場には古材のストックが所狭しと置かれており、作業場だけには収まりきらず作業場前の倉庫にも保管されている。
大森氏の弟子達にも古材を触らせ、先人の技術を学ばせている。古材をそのまま新築住宅でポイントとして利用することもあるが、製材して再活用もしている。製材する場合の再活用の方法としては、腰板に加工したり、キッチンの調味料入れなどの家具も制作する。ただ普通に製材して材料として使うのでなく、先人の大工の残した「ちょんな」跡をどう活かすか知恵を絞りながら扱い、何よりもお客様が喜んでくれるのが一番嬉しいそうである。
作業場前の倉庫も見せてもらったが、連子戸(れんじど)や煤竹(すすだけ)などがストックされている。連子戸も、よく見かけるカシューという漆に似せた塗料ではなく、本物の漆で塗られたものだけが置かれており大森氏の目の確かさが伺い知れる。煤竹などは綺麗に洗浄し編んで新築の天井などに使用するそうだ。
道具を自分で作るのが大工
せっかく作業場にお邪魔したので大工道具について話を聞いた。
最初の大工道具は弟子時代に親方に揃えてもらったそうだが、その後経験を積み重ねていくとともに道具も工夫をしながら、柄などを自分が使いやすいように自作しているそうである。既製品を使っているうちにはいい仕事はできない、自分にあった道具を造り、その道具を大切にすることがいい職人の第一歩だそうだ。
道具を大切にしているのは棟梁に共通している。大森氏は木材を削る際に鉋(かんな)を三丁使用する。製材面からの最初の荒削り鉋として使用する寸四(すんし)から寸六(すんろく)の荒仕こ鉋。寸八(すんはち)の材を平面に仕上げ、場ならしとして木材を平らに削る目的の中仕鉋。そして最終仕上げを行う仕上げ鉋。最近では荒仕上げには電動鉋を使うのが一般的で弟子達も使用しているそうだが、ここぞという時には大森氏は荒仕こ鉋を使用する。仕事を始める時の気持ちの入りようがやはり違うようである。
鉋の台も自分で削り調整する。刃先と台の幅を調整し、台の下側がまっすぐになっているか差し金を当てながら調整するそうである。機械で加工すれば手間はかからないし、手加工と機械加工の違いは素人には見分けられない。しかしお客様には見えない部分にこだわるにはそれなりの理由がある。機械で加工したものは、表面は傷んでおり、例えば水をかければ水は吸い込まれる。しかし、手でよく切れる刃で削ったものは表面が荒れておらず木の脂分が染み出してきて水を吸わない。この差は長い年月を経過すれば差が開き、手加工の木材は綺麗に艶が出て耐久性も高くなる。鑿(のみ)も見せてもらったが、長年使用したため刃先も柄もすり減っている。使いづらくなると柄を交換しまた使う。いい道具は長く使え結果経済的でもあり、また長年使うことで手になじみいい仕事にもつながるそうである。
鋸のこぎりも最近は替刃式のものが多くて便利だが、やはり昔のものも捨て難い。鋸の目利きに関して聞くと、刃先を軽く叩くとその音で善し悪しがわかるそうだ。「ピン」と高く澄んだ音がするものが切れ味がいいそうで、音を聞かせてもらったが確かに違う気がした。
さらに、目の前で「指矩(さしがね)」と、「墨壺」、「墨指(すみさし)」を使った「間竿(けんざお)」の作り方を実演してくれた。家を建てる際に最初に作る墨付け用の図面である絵え図板(板図ともいう)は平面の配置を表したものだが、間竿とは家の高さの関係寸法を細い棒に記したもので、例えば和室の長押や廻り縁の高さを記した、いわばその家のもの差しになる。地盤面から始まり、土台、窓の高さ、胴差しや桁、小屋組など主要部の高さの寸法の割付を記す事を矩かな計ばかりと言い、間竿の四面に盛りつけ(寸法を記入)する。間竿作りには「規矩術(きくじゅつ)」と言われる木造建物の仕口や継手などの接合部や、部材の形状全般知っておくことが必要で、指矩一本で三角形、寸法割り出し、曲尺の裏目などを用いて構成部材の複数の勾配が交わる角度、割付、墨だし寸法だしなどを求めることができる。
太子講の伝承
最後にご自宅にもお邪魔した。地域で唯一の三階建てで、なぜ三階建てを建てたか尋ねたら、「誰もしてなかったから目立つと思った」とのこと。棟梁は周囲の人間への気配りが大切だが、やはり豪傑さがないと人間的な魅力も出ないだろう。奥様に大森氏の性格を尋ねたら、「猪突猛進でいいと思えば突っ走るタイプで苦労した」と笑顔で話され、コーヒーでもてなしてくれた。
ご自宅の床の間には若き日の聖徳太子の掛け軸が描けられており、明治から続いている太子講の記録があり見せていただいた。そこには噂通りに棟梁たちが集まり定めた日給の金額が記され、また太子講をおこなった日に食べられた料理の品書きと金額も記録されていた。
太子講を開催した際には、次年度の「宿やど」と呼ばれる取りまとめをおこなう棟梁を決めるそうで、そこには無論大森氏の名前も書かれていた。最近は棟梁連中の高齢化などもあり、記録に記される棟梁の名前が少なくなってきたと少し寂しげに話す大森氏だが、大森氏が長浜にいる限りは若い職人たちを平成の棟梁として一人前に育て上げ、太子講は引き継がれていくに違いないと私は思った。